日本初のジェットエンジンの戦後
日本初のジェットエンジン「ネ20」は、1945年8月7日千葉県木更津で橘花に搭載されて初飛行試験に成功しました。8日後には終戦を迎え、実用に供されることなく、短命に終わったことは良く知られています。
「ネ20」は現在、米国スミソニアン航空博物館に2基、石川島播磨重工業(IHI)田無工場史料館に1基あるのが確認されているだけです。
IHIにある1基は、戦後ノースロップ工科大学にあるのが分かり、1973年10月入間で開かれた国際航空宇宙ショーに展示にするために日本に来たところを、返す段になって強引に「返さない」とやって、すったもんだの末、「永久無償貸与」の形になったものです。(この辺の話もとても面白い)
このIHIにあるエンジンが、どうも戦後クライスラー社がターボプロップエンジンXT-36-D2の開発のために米海軍から貸与されていたものらしいというのです。「航空技術」200512月号に石澤和彦氏が書いています。
クライスラー社はネ20を分解し組み立てて試験と解析を行ったようです。この試験から得たデータを元に、XT-36を開発し、さらにガスタービン自動車の開発に成功した、というのです。
CHRYSLER社のものではありませんが、ガスタービンカーの例。
開発者の永野治氏が愛惜の情を込めて「未熟児」と呼んだ日本初のジェットエンジン「ネ20」の戦後物語は、まだまだ語りつくされていないようです。
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コメント
わたくしもその本、去年図書館で見ました。
実機のエンジンを正面から見るとなぜ◎の形なのか。素朴な疑問でしたが中央の円はオイルクーラーが納まっていたという事で納得しました。
さらにオーバークールにならないよう、パンチングメタルで覆われていたということで、興味深い著述でした。
あとノズル形状を調整できるという点、燃焼室の周囲に二次空気取り入れ口が設けてあって、タービンの冷却にも気を遣われている点、わずかな資料を基にここまで思いついた永野治氏のイマジネーションに脱帽です。
投稿: ハムの人 | 2007年2月14日 (水) 00時24分
ハムの人 さん こんばんは
永野治氏の「ガスタービンの研究」を読みましたが、ジェットエンジンの黎明期にこんな人がいたのか、と驚きます。
ネー20に心血を注いだにもかかわらず、それだからこそか「あらゆる意味で未熟児」と言い放つ中に冷徹さと暖かさのある魅力的な人だなぁ、とファンになりました。
投稿: SUBAL | 2007年2月14日 (水) 23時58分