ダ・ヴィンチ・コードと黄金比の嘘
「ダ・ヴィンチ・コード」という本を読んでいます。ベストセラーのようです。翻訳本にしては読みやすいです。
なぜ読み始めたかというと、この本の中の黄金比に関する記述が気になったからです。
このページに「ダ・ヴィンチ・コード」上巻の128ページから132ページが引用されています。
黄金比自体はフィボナッチ数と関連していて興味深いのですが、「自然の中にたくさんある」とか「神秘の比」という記述は、笑ってしまうほどインチキくさい。
例えば「世界中どのミツバチの巣を調べても、雌の数を雄の数で割ると・・・黄金比になるんだ」という記述、結構信じてしまう人がいるみたい。
これは、実際にミツバチの個体数を数えてみるまでもなく、ミツバチの個体数は季節によって変化するという事実を確認するまでもなく、「世界中」なんて誰がいつ調べたのか?という疑問を投げかけるだけで「うそ」は明らかでしょう。
「肉体派の諸君だけじゃなくて・・・君たち全員がだよ。男も女もやってみるんだ。まず頭のてっぺんから床までの長さを測る。次にそれを、へそから床までの長さで割る。答えはなんだと思う・・・黄金比だ」
美しい理想体型ではなく皆そうだ、といわれたとたん、比を測ってみようという手は止まってしまうはずです。全人類の体のパーツが「1:1.618」というように有効数字4桁まで同じプロポーションなんてあるはずがありません。この項目は、「いくらなんでも誇張だ」と思う人が多いようです。でも、ダン・ブラウンが書いている「自然の中の黄金比」の記述は、すべてこの類の嘘なのです。
「オウムガイ・・・この螺旋形の直径は、それより九十度内側の直径の何倍になるか想像できるかい・・・黄金比だ。神聖比率。1.618対1」
これは、先の2例よりは「違う」というのは難しいです。割と一般的に流布されていて、著名な小説家や数学の教授たち(夢枕獏氏や秋山仁氏ら)も確かめもせずに「自然の中の黄金比」の実例として挙げています。でも、これは似ているけれど違う。次のページで明らかにしています。
この本の中で「自然の中の実例」として示されたものは、「一部おかしい」のではなくて、すべて嘘なのです。私は、自然の中に偶然1対1.6程度になるものはあるだろうけれど、「たくさんある」とか「普遍的にある」というのは嘘だと思っています。少なくても今まで言われたことを調べるとすべて嘘でした。
ただ、不思議なのは渦巻き銀河の螺旋には黄金比の螺旋とほとんど同じになるものがあります。銀河の螺旋(←クリック)
この小説に関して言えば、前書きに「この小説における芸術作品、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と書いてありますが、まぁフィクションとして捉えるべきでしょう。
私には「この程度のレトリックで“神秘”を信じるかい?」と筆者ダン・ブラウンが問いかけているようにも読めます。
ひとつの例証から全てがあるもに支配されている、と簡単に普遍的真理に拡張したがるのはインチキ宗教のよくやる手です。この場合、そのひとつの例証すら嘘だから始末が悪い。
外中比を定義したのはユークリッド、ということですが、これを「黄金比」と名づけたのは誰なのかはわかっていないようです。ダ・ヴィンチは黄金比を意識していたようですが、彼は上のようなずさんな議論をしないと思うのです。何らかの叙述はあるのでしょうか?この本には書いているのかな?と思いつつ、読んででいます。どなたか御存知でしょうか?
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コメント
くだらんブログだ。
こだわりすぎじゃないの?
人だって千差万別なのにキッチリ1:1.618じゃないといけないみたい。
頭堅いね。 所詮フィクション小説とかで済ませられないのが悲しいね。
なんか嫌な思い出でもあるの?黄金比でwwww
まぁ暇潰しで打ってるからいいわw
政治にモノ申せ!
って感じw
投稿: こじゅん | 2007年2月 1日 (木) 06時00分
こじゅん さん こんばんは
人の価値観はさまざまですから、ここで書いていることをくだらないと思う人もいるのでしょうね。たぶんそう思う多くの人はスルーしているのでしょう。その意味では、あまり聞くことのできない貴重なコメントをありがとうございました。
よく読んでいただくとわかりますが、私は黄金比をきっちり確定しようなんて考えはありません。「自然の中に本当に黄金比はあるの?」という疑問を投げかけているのです。
それと、このブログで批判的に取り上げている論説や人について言えば、嫌悪感から取り上げていることはありません。ごく少数の例外を除くと、取り上げるのはどこかで尊敬できる方ばかりです。ダヴィンチコードも本を5冊も買うほど好きです。
政治に物申さなければくだらない、というのもひとつの価値観ですね。私は、同意しませんが・・・。
投稿: SUBAL | 2007年2月 1日 (木) 20時47分
確かめもせず簡単に信じてた自分を思い知らされました。しかしながら、何でも疑ってかかれということで、あなたの意見もまだ信じてはいません。すくなくとも黄金比にすくなからず近づくって事には意味があると思います。その意味を深く考えもせず決定するのはおろかなことだし、いわれたことを素直に信じるのはさらにおろかです。
投稿: じゅんし | 2007年2月19日 (月) 21時43分
じゅんし さん ようこそ。
>何でも疑ってかかれということで、あなたの意見もまだ信じてはいません。
そうでしょうね。この件は、ご自分の手と頭で確かめられたら良いと思います。でも、私は何でも疑ってかかれ、なんてことは言ってもいないし思ってもいないのですよ。どっちかといえば、黄金比も面白いと思ったし、そういうこともあるかもしれないとも思いましたよ。何でも疑うというよりは、信じられるものとうそを見抜く勘を身につけたいと思っています。まあ、だまされますけどね。
投稿: SUBAL | 2007年2月20日 (火) 00時08分
偶然ちらっと見ての感想ですから、議論の的を得ていないかも知れません。見た目の美しさに黄金比が存在する、そこを原点にカオスやフラクタルがあって、デザインに利用されたり宇宙的な解読にヒントを与えている。これは事実です。要は、現実社会にあって、宇宙なんて関係ない、という発想をもたれるヒトはかず多いでしょうね。しかし、宇宙の、自然のなかのわずかな存在である自分自身を見つめたとき、そこに不可思議さを感じたり、調べたりするヒトも存在します。「我思う、ゆえに我あり」をバカバカしいととるか、哲学ととるか、ヒトそれぞれであって、ヒトに意見するより、わが身と捉えると腹も立たないでしょう。ダヴィンチにしても好奇心こそが進化のもとです。よく調べていらっしゃると思います。ガンバッテください。
投稿: ws | 2007年3月 9日 (金) 11時32分
ひとつ提案です。
なぜ黄金比なのか、考えたことはありませんか?
つまりルート5の意味についてです。富士山ろくにオウム鳴く、で覚えたルート5とは一体何なのか?ペンタゴン、ペンタグラムに現れるルート5は、言わずと知れた無限に続く無理数です。数学的な意味を別にすると、人間は無限という概念がいまだ不明なのです。
投稿: km | 2007年3月 9日 (金) 11時43分
wsさん kmさん こんばんは
同じ方ですよね。
日本語で書かれていますが、私には難解です。
あなたの文章を読んでいると、かつて言語学の本にあった「文法的には正しいが意味を成さない文章例」というのを思い出しました。
>見た目の美しさに黄金比が存在する、そこを原点にカオスやフラクタルがあって、デザインに利用されたり宇宙的な解読にヒントを与えている。これは事実です。
ここの話を読んで会話をされるおつもりならば、「事実です」と言われるその「事実」を示してからではないかと、私は考えます。
投稿: SUBAL | 2007年3月10日 (土) 19時02分