« 黄金比がなぜ美しいとされるか、数学的答え | トップページ | 壺のかたち »

2006年9月 3日 (日)

19世紀中葉からの黄金比フェティシズム

北川成人氏の「モデュロール考」を読んで分かることは、ユークリッドの外中比を「黄金比」として、自然界をも支配する特別の神秘の比、として「発見」したのは19世紀以降のツァイジング、ハンビッジ、ギガといった人たちであるということです。

「発見」というところが面白いです。それも、まずは、人体の中に「発見」をしていったとのこと。宇宙と人間とが相似形であり、黄金比という特別の比によって「入れ子」の関係になっていることを「発見」したということのようです。北川氏が示している文献を読んでいるわけではありませんが、どう考えても怪しいと思います。

* φ=(√5+1)/2=1.618・・・のどこまでが一致したら「黄金比」であるとしたのでしょうか?(判定の許容範囲)

* 年齢・性別・民族・・・どこまで調べたのでしょうか?(サンプル調査の範囲)

多分、こんなことを問うほうが野暮なのでしょう。私は、子どものころ夏祭りにやってくる占い師が、お客の個人的な事情(たとえは子どもが3人、最近身内に不幸があった・・・等々)を「当てる」のが不思議で不思議で、何時間も観察したことがあります。そうするといくつかの仕掛けが分かってきて、面白かったのを憶えています。その仕掛けのひとつが「当たってほしい」という心理に付け込んで、範囲の広いことを言って誘導する、という手法でした。

「黄金比」が人体にもあってほしい、という願望の投影で、1.6でも1.5でも1.4でも「近い」という判定をしているのではないでしょうか。

それとも、理想の美しい人体では「黄金比」になるとでも言うのでしょうか。

このブログと関連サイトで何度も言ってきていますが、自然の中に黄金比があるというのはデマです。

北川氏はコルビュジエの研究をされているとのことです。黄金比フェッチになっているコルビュジエの錯誤を緻密に浮き彫りにされています。

ただ、その北川氏も19世紀以降の「黄金比の発見」自体には、それを是としているようです。「黄金比の呪縛」の煙の中におられませんか?といいたいのです。

小説「ダ・ヴィンチ・コード」の中の「黄金比」に関する叙述は、とんでもなくあほらしいと思っていました。今回北川氏の「モデュロール考」を読んで、この叙述には西欧の根深い思想あるいは哲学の背景を持っていそうだということが、よく分かりました。

北川氏のこの言葉は、まさにそういうことなのだろうだと思います。

「一宗教の経典を聖書と呼んでこの上なく重要な書物と勘違いしてしまうように、黄金という言葉がつくことによって、外中比が最高の比であるかのような錯覚を深めていく、黄金比フェティシズムといってよい状況が、19世紀中葉から20世紀の20~30年代初頭にかけて、あった」

数学者やデザイナーが、「神秘の比」などということを自ら根拠を示すことなく「・・・といわれている」と主張する場合、この黄金比フェティシズムに、自覚的にか無自覚かは別にして、影響されているということでしょう。特に数学の先生には、この黄金比フェティシズムを検証してみてほしいです。北川氏の論文をぜひまず読むことをお勧めします。

にほんブログ村 科学ブログへ ← うーむ。5位ですね。

|

« 黄金比がなぜ美しいとされるか、数学的答え | トップページ | 壺のかたち »

コメント

デザイナーです。私の経験的には黄金比を言いたがるのは建築家の方です。恐らくアカデミックな系統的に無批判に伝承されているのだと思います。一方で画家とかグラフィックデザイナーでそういうことを言う人はいません(ただし芸術家はカルトになる人が割りと居るのでブレます)。私も含めてあまり学が無い代わりに現実に対処すべき現象しか見ないからです。
また、友人とかでなく仕事をする相手になった素人の方でも黄金比と言いたがる人もいます。信じているのかビジネス戦略的に「素人でない」プレッシャーをかけているつもりなのか良く分かりません。

どちらにしてもこの手の問題は「数の魔力」とか「シェイクスピアの暗号」のように現実をモデルで解釈するという標準的な手法を理解しないためにモデルによって現実を規定しようとすることから起こるのだろうと思われます。
それから現場の人であれば手の動かし方が足りないのです。見習いだろうとご隠居だろうと。

投稿: ドカ | 2006年9月 5日 (火) 14時24分

ドカさん こんばんわ
私の言いたいこととをズバリ言っちゃっていますね。(私の言い方がくどい?)
北川氏が取り上げているル・コルビュジエは、「近代建築では神様のような存在」なのだそうです。この人が黄金比フェチ。
「モデルによって現実を規定しようとすること」が数学教育の現場で疑問もなくやられていることに「おかしいよ」といいたいのです。
「手の動かし方が足りないのです」よくいってくださいました。ありがとうございます。

投稿: SUBAL | 2006年9月 5日 (火) 22時54分

SUBALさん、こんにちは。
本ブログと北川氏の論文を大変興味深く拝読いたしました。
「黄金比フェティシズム」がこれほど広まった背景には、古代ギリシャの論証数学がピタゴラス学派に由来するということが定説になっていたから、と思います。
しかし、先日読んだ『よみがえる天才アルキメデス』(岩波、斉藤憲、2006/06)にはこの通説がプラトン学派の捏造らしいと述べてありました。
原子論を嫌ったプラトン一派がデモクリトスらの業績を徹底的に抹殺したのです。

さて、映画『ダ・ヴィンチコード』を劇場で見ましたが、義経=ジンギスカンの類、小説を読むような時間の無駄をしなくて良かったです。

投稿: 271828 | 2006年9月 6日 (水) 09時25分

271828さん ようこそ
『よみがえる天才アルキメデス』面白そうですね。機会があれば読んでみたいです。

外中比自体は誰が最初に発見したかにかかわらず、とても面白いと思います。でも、それを黄金比として「神秘の比」に祭り上げるのは、どう考えても怪しいです。

北川氏によれば、黄金比フェティシズムの成立は150年前ということですから、それを必要とする時代背景があるような気もします。

投稿: SUBAL | 2006年9月 7日 (木) 00時01分

SUBALさん、こんにちは。
外中比を理解するにはそれなりの数学的な素養が必要です。150年前といえば、フランス革命の嵐がヨーロッパに吹き荒れた後に、後進国ドイツでも坊主と貴族以外の人々が高等教育を受けられる環境が整った頃と考えていますが、どうでしょうか?つまり市民社会の成立ですね。

恥ずかしながらつい最近まで私も「黄金比フェチ」だったので、この分野の書籍はいろいろ所有しています。中でもイチオシはコクセター
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Scott_MacDonald_Coxeter
の『幾何学入門』(明治図書、銀林訳)でしょう。同書には「黄金分割と葉序」という章があり、ルカ・パチオリを感化したのが芸術家ピェロ・フランチェスカ(1416頃-1492)であったこと、τ=(√5+1)/2を用いてフィボナッチ数列の一般項が f(n)=((τ^n-(-τ)^-n)/(τ+τ^-1)と書けることを1843年に発見したのがビネー(J.P.M.Binet)であったことが述べられています。任意の項が自然数、それらが無理数を使って美的に表現できることが分かったら大感動でしょうね。

投稿: 271828 | 2006年9月 8日 (金) 19時14分

271828さん こんばんは。
高校時代世界史は赤点を食らった覚えがありますが、150年前というと市民社会の成立、産業革命の進展ということになるのでしょう。多分それと軌を一にして、科学技術の急速な進歩があったのでしょう。
ちょうどダーウィンの進化論が出てくるころとも重なりますね。
私は、進化論をミッシングリンク説を持ち出して否定しようとする思想的な流れと関係しているのかな、と推測しています。神秘を強調しようとするために、論理は空回りしている、あいまいな例証に頼ろうとしている、というあたりが共通しているかなと思っているのです。

私は、「自然の中の黄金比」説はデマと確信を持って主張していますが、フィボナッチ数列については、意識的に言及していません。フィボナッチ数列についてでたらめな解説がたくさんあります。これを指摘するのは簡単ですが、フィボナッチ数列についてもう少し勉強をしてからにしようと思っています。

もしかしたら、私はいまでも「黄金比フェチ」かもしれません。

投稿: SUBAL | 2006年9月 8日 (金) 22時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/23508/3299866

この記事へのトラックバック一覧です: 19世紀中葉からの黄金比フェティシズム:

« 黄金比がなぜ美しいとされるか、数学的答え | トップページ | 壺のかたち »