センスと教育
科学ブログでこのところ3位から6位をいったり来たりしていました。そのライバル(?)のなかに「鴉工房」という名のブログがあります。恐竜などを描く画家であり美術の先生ということで、スケッチがたくさん掲載されており、気に入っていて時々訪れていました。
そこに先月末「美術教育の犠牲者」という記事が載って、たくさんのコメントがついていました。美術教師の仕打ちがトラウマになり「美術教育は不要」という考えから、自分の子どもにも絵を描かせない、という人の投稿をきっかけとした議論です。センスは、教育できるか、が論点のひとつです。
私も、コメントを書きました。しかし、そこで交わされている議論にかみ合うようなことはかけませんでした。結論的なことを書くのは、私にとって少々重過ぎる。でも何か言っておきたくなった、というところです。
技術教育でも、センスの有無は問題になります。
明日、学生を連れて上京します。航空工場検査員国家試験(航空機用原動機)の受験です。彼らも一生懸命勉強をしていましたが、さあどうなるか。
受験が終わったら、JAXAへ見学へ行きます。
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コメント
初めまして、拙blogへのコメントとトラックバックありがとうございました。また記事で扱っていただき、ありがとうございます。
仕事で古生物学者と頻繁にやり取りをしますが、彼らもセンスの有無を良く話題にすることがあります。何を研究対象に選ぶか、どこに着眼点を持ってくるか、優れた研究者には優れたセンスが備わっているようです。
センスという言葉をどう定義付けするかというのも難しい問題だと思いますが、それぞれの分野に適応した何かがあるのかもしれません。
教育というものは時間をかけないと成果が表れないものであり、広い視野と遠くを見つめる視点が必要なのだと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿: corvo | 2006年10月 5日 (木) 00時32分
corvoさん コメントありがとうございました。
私は、古代の生物の奇想天外な容貌を見るのが好きで、corvoさんのブログも拝見して楽しんでいました。
あの議論は、ドキッともしましたが、いろいろな見解が出てきて、とても面白かったです。
私は、たとえばブリッジコンテストを行う意義として「構造に対するセンスを養う」などということを言ってきました。corvoさんのブログでの論議を読んで、センスってなんだろうな、センスは天賦のものなのか、訓練で養えるものなのか、いろいろと考えさえられました。
まだもやもやはしていますが、技術の分野では、センスは磨きうる、という考えでやっていこうと思います。
corvoさんの絵を拝見すると、職人技を感じます。美術教師で「センスが無い」と生徒を切り捨てる教師は、彼自身がそうした技(ワザ)や術(スベ)を持っていない人ではないか、と想像しています。思いつきでしかない奇抜さがしばしば「センス」と勘違いされていることが、美術界ではあるような気がします。
でも、難しいですね。教育を職業とするものにとっては、ひと言の発言が、全拒否という反応を作り出してしまう可能性がある、ということですから・・・。
>教育というものは時間をかけないと成果が表れないものであり、広い視野と遠くを見つめる視点が必要なのだと思います。
おっしゃる通りですね。現実には目の前の目に見える成果を求められることがしばしばあり、それはそれとして結果を出しながら、その中で「広い視野と遠くを見つめる視点」をいかに見失わないか、もがいているというのが正直なところです。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿: SUBAL | 2006年10月 5日 (木) 01時56分