「この黄金比は,人間がつくり出したのではなく,自然界にも多く存在し,科学的な理屈だけでは証明できない神秘的なものである。」といった見解があることを以前に紹介しました。ほんと?ではどこにあるの・・・と疑いの目を向けると、とたんに怪しくなります。実際に調べたものはほとんどない。単なるうわさの類のようにみえます。今日は、黄金比=神秘説のルーツについて。
「ダ・ヴィンチ・コード」に記述がある(角川書店 上のPP128-133)のはよく知られています。世界的なベストセラーの中で、ハーバード大学での授業場面として言われています。また、「著名な数学者」である秋山仁氏がテレビ番組で言っています。
有名大学の先生たちも、いっています。
例えば、慶応大学の脇田玲 氏の「デザイン言語基礎論」(黄金比:自然の美しさ )。講義がビデオで公開されています。この方は、「自然の中の黄金比」については実証はせずに写真を見せて「黄金比は自然の中にある。だから人間はそれを美しいと感じる」と展開しています。自然の中にある黄金比以外の比とは区別されて、なぜ黄金比が美しいと感じるのか、という点については触れていません。
もうひとつの例。北海道大学大学院理学研究科教授新井朝雄氏の「数学と自然と芸術」。この中に、こんな記述があります。
「黄金比は自然界では、特に、生物界と関連して現れています。たとえば、植物の葉序(葉の つき方)、巻き貝の螺旋形態、鹿、魚、人間の形態において黄金比あるいはその近似的出現(フィボナッチ数列)が見られます。 こうした事実と芸術が精神と魂の生命の発露を伴ってい ることを考慮するならば、高次の生命の理念と黄金比が何らかの関係があるようにおもわれます。私にはこれはたいへん興味深い照応のように感じられます。」
この方も実際に調べもせずに、「高次の生命の理念」なるものにに結び付けています。この方「極方程式の定数」を知らないわけでもないでしょう。『「かえるは動物である」また「ウサギは動物である」したがって「かえるはウサギである」』というのは間違いである、ということも知らないはずがない。
これだけの人が言っているのだから、「・・・といわれている」といっちゃってもいいかという気分になります。
でも違う、といい続けてきました。最近理解してくれる人も現れてきました。「黄金比じゃなくても自然は成長する」。
前置きが長くなりましたが、黄金比=神秘説のルーツを探していましたら、「といわれている」といった噂話の類ではなく、文献を紹介しているページを見つけました。大成建設の北川成人氏のページです。このHPにある「黄金比伝説」。
北川氏によると、黄金比という言葉が使われ始めたのは19世紀に入ってから。ドイツの美学者ツァイズィングが「人体比例新論」(1854)を著し黄金比とともに人体の神秘性.を鼓吹した、といいます。
それ以前では、ルネサンス期に「神聖比例論」(1498)や「建築書」(1509)でルカ・パチリオが、「正五角形は完全無欠の宇宙や美の象徴」と考え、円に内接して五角形をなすウイトリウィウス的人体について記しており、レオナルド・ダ・ヴィンチらによって描かれた、ということです。
さらにそのルーツは、「宇宙は数の神秘に支配されて調和をと保っている」としたピタゴラス学派(正五角形を学派の象徴として紋章にした)までさかのぼれます。正五角形には1.618・・・の比はあります。しかし、ピタゴラス学派が自然の中に黄金比がある、といったわけでも、黄金比が「美」の根拠といったわけでもありません。
以上を図式的にまとめると・・・
数の神秘→宇宙の調和 ピタゴラス学派(ギリシャ時代 紀元前)
五角形→宇宙や美の象徴→ウイトリウィウス ルカ・パチリオ(ルネサンス期)
黄金比→人体の神秘性 ツァイズィング(19世紀)
ツァイズィングやそれを引き継いだというジェイ・ハンビッジらが、どのような実例で「黄金比を発見」したのかは分かりません。きちんとしたものならどうしてそれがデータとして語り継がれないのか、不思議です。1:1.3や1.5になるものを「黄金比」などと数学者たちが言うのでしょうか。
ツァイズィングが「人体比例新論」を書いた19世紀半ば、というのは自然科学が発達し産業革命が進行し、そのほころびが出ていたころです。1858年にはダーウィンの進化論が発表されます。
ところで、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたウイトリウィウスでは、へそが円の中心になっています。「へそまでの高さ」対「身長」はおおよそ1対1.6(1:1.642)になっていますが、他はそうなっていません。(「ダ・ヴィンチ・コード展」)また、手先・足先が円と接する点では、五角形ではありますが、正五角形にはなっていません。
私は、数学の先生たちが、あいまいな印象から事象を解釈していて、見逃してはいけないズレに無頓着になっているようにみえます。
そもそもおおよそ1:1.6になっている例をたとえいくつか示すことができたとしても、だから「神秘」とか「高次の理念」だとかにどう論理的に結びつくのかも、何の説明もありません。「はじめに答えありき」としか見えません。
ま、自分の体をどう見ても「黄金比」などにはなっていない、オジサンのへそ曲がりなたわごとでした。
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