ガイドさんに案内されて、東大門市場・南大門市場・仁寺洞に行きました。
バックや時計のブランド品の偽物を売る店があちらこちらにあり、そのうちのひとつの店員の呼び込み、「社長!完璧なニセモノがあるよ」。
えっ!と思いました。本物ではない、だけど完璧なのだという。ニセモノという後ろめたい響きと、完璧という自信に満ちた響きが、あたかもバルトークの和音のように不調和に調和して、頭骸骨の中を跳ね飛んでいるようでした。
技術の習得は模倣から始まる。優れたものの寸分たがわぬイミテーションを作れるということは、本物を作った人と同等の技術を持つということになります。陶芸の世界では、加藤唐九郎氏の永仁の壺事件が有名です。
私は、本物であるブランド品に何の価値も見出せないので、そのニセモノがいかに完璧でも興味はありません。
でも本物を越えるニセモノもある。
仁寺洞を歩いていて、冷やかしのつもりでとあるやきもの店に入りました。入ったとたん、棚の奥にある青磁の鶴首型一輪挿しが目に止まりました。静かで凛とした佇まいに一目ぼれをしてしまいました。値段を聞くと・・・とても手が出ないなぁ、ため息をついてしまいました。すると店の奥から70歳ぐらいと思われる白髪の男性が現れて、「その作者、いいでしょう・・」と綺麗な日本語で話しかけてきて、同じ作者の鶴首で貫入が入ったものなら1/4の値段だといいます。
貫入というのは生地と釉薬の収縮率の違いによってできるひび割れのことです。中国では青磁は「玉」(極上の翡翠の玉)のイミテーションとして扱われるので、貫入がないものが良いとされます。韓国でもそうなのでしょう。しかし、日本では萩や唐津の陶器はもちろん青磁でも貫入は、景色・模様として尊ばれます。昔書いた駄文ですが・・「損傷許容の美意識」
示された鶴首の貫入は美しくなかったので、同じ作者の貫入の入った花瓶を購入しました。赫山方徹柱という名の作者です。名前は知りませんでしたが、花瓶の佇まいは作者の人柄が出るといいます。「玉」のイミテーションなどではな い、韓国青磁の本物の美しさだと私は思います。
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